歴史と伝統製法
歴史
マルセイユ:石鹸生産の発祥地
マルセイユは、オリーブソープ発祥の地です。800年以上前の12世紀には多くの石鹸製造業者がおり、プロヴァンスで収穫されたオリーブから抽出したオイルと、カマルグの塩分の多い環境で育った植物からできた天然灰を使って石鹸を作っていました。暑い気候とミストラルという特有の風のおかげで、マルセイユは、石鹸を乾燥させるのにとても適した場所でした。
1371 : マルセイユソープの国際的な成長
クレスカス・ダヴァンは、1371年にマルセイユ初の公式石鹸製造業者となりました。最初の工業工場は15世紀に出現し、マルセイユの地理的な位置と、港としての歴史的な活動のおかげで、すぐにヨーロッパや地中海地域全体へ製品を輸出し始めました。当時、マルセイユソープは、5kg以上の緑色の棒状で販売されていました。
1688 : マルセイユ石鹸の製造規制
1660年、マルセイユ市内には7つの石鹸工場がありました。ルイ14世は、1688年に大臣コルベールを通じて、オリーブソープとその成分の製造を規制する案を公布し、石鹸業界の発展を支援することを決定しました。「塩草、ソーダ、灰で石鹸を製造する場合、脂肪、バター、その他の材料は使用せず、純粋なオリーブオイルのみを使用し、脂肪を混ぜないこと。違反した場合は、品物を没収する。」さらに、最適な品質レベルを確保するために、暑い夏の3か月間は石鹸の製造を停止する必要がありました。
1812 : 石鹸の原産地を保証する法令
マルセイユ内の石鹸工場の数は、1812年までに62にまで増加しました。伝統的なマルセイユソープの効用を知っていたナポレオンは、1812年12月に、今では有名なオリーブソープの特別な商標を制定する法令を採択しました。その商標は「五角形の形で、その中央に「Olive Oil」の文字を刻み、そのあとに製造者の名前とマルセイユ市の名前を記す」というものでした。この法令は、「マルセイユ以外の市に住む市民で、登録商標の付いた石鹸の販売に携わった者は、罰金を科せられる。さらに、石鹸は没収される」という内容のものでした。
1927 : マルセイユ石鹸の衰退
20世紀初頭は、当時 90の工場を誇っていたマルセイユ石鹸産業にとって非常に繁栄した時代でしたが、第一次世界大戦中に最初の不況を経験しました。マルセイユソープは、1927年にエクサアン・プロヴァンスの控訴院で、1928年に破毀院によって、植物油のみ(最低72%)で作られた製品として定義されました。戦後、主に機械化の進歩により、生産量は回復し、1938年には12万トンに達しました。第二次世界大戦中にビジネスが再び低迷した後、マルセイユの石鹸産業は合成洗剤との競争で大きな打撃を受け、急激に衰退しました。
1980 :
マルセイユソープは、天然で本物の製品を求める消費者の需要の高まりに応えて、1980 年代から本格的に復活を遂げてきました。サボネリー・デュ・ミディは、この伝統を120年にわたって受け継いできたことを特に誇りに思っています。

伝統製法
サボネリー・デュ・ミディは、マスターソープの職人たちが伝統的なノウハウを使用しマルセイユソープを製造している、マルセイユにある最後の工場の 1 つです。 120年以上にわたり、先祖伝来の製法を継承し、情熱を持って伝統的なマルセイユソープを作り続けています。

伝統的なマルセイユステップ
STEP1 : Mashing
ショードロンと呼ばれる大釜で熱しながら、植物油脂と苛性ソーダ(アルカリ液)反応して鹸化反応させる。
STEP2 : Salting-out
塩析と呼ばれる工程。石鹸素地は塩水に溶けないため、ショードロン(大釜)の底にある過剰のアルカリ液を海塩を加えながら洗い流す。
STEP3 : Boiling
さらにショードロン(大釜)を煮沸することで、じっくりと徐々に植物油脂を石鹸へと変化させていく。
STEP4 : Washing
マルセイユソープの製造工程で有名な工程。純粋な石鹸素地に仕上げるために、フレッシュでクリーンな水でしっかりと洗い流す。
以前は、枠に流し込み自然乾燥させる「枠練り製法」でしたが、生産量が増えた現在では、出来上がった石鹸素地は、「機械練り製法」を使用して石けんを乾燥させ、機械による加熱と減圧によって脱水され、チップ状に成形された後、練り合わされ、バー状に押し出されます。それぞれのサイズに合わせてカットと刻印が押され、その後乾燥、包装され、商品が完成します。品質チェックが行われた後は梱包され、1カ月半ほどをかけて長い旅路を経て日本に届けられます。



